正直まだあまり実感はないのだけど、来週から約8週間、人生で2度目(そしておそらく最後)の育児休暇を取ることになっている。育児休暇という名称に若干の違和感を感じつつも、普段の仕事から少し離れていつもとは違ったリズムやテンポで家族や子どもたち、そして自分自身と向き合える時間をとても楽しみにしている。
会話の流れで育休について触れると、「何かするんですか?」とよく訊かれるが、いつも答えに困ってしまう。もちろん「育児」は前提として織り込まれている質問だと思うけど、人はまとまった時間ができるとなるとすぐ何かを計画したくなるのだろう。まさにぼくがそうだが、そもそもそんなに余白がない毎日を送っていると尚更そう思うかもしれない。ぼくが前回の育休を通じて実感したことのひとつは、当然と言われればそれまでだが、自分がいなくても世界はまわり続けるということだった。だからこそ、今回は周りのことはあまり気にせず、少し肩の力を抜いて、特に何も計画がないことを大切にしたいと思っている。
育児関連の話のなかで、幼少期の子どもの成長はもの凄く速くてあっという間に過ぎてしまうから、親はできるだけ子どもと一緒に時間を過ごした方が良いというアドバイスをよく耳にする。ぼくもその考えに基本的には賛成だけど、その話の全体像から親自身の存在が抜け落ちているなとも思う。もちろん子どもの成長に目を向けていきたいが、同時に、親としての自分やパートナーが何を感じ、考えているのかも忘れないで目を向けていきたい。子どもが日々成長して変化していることは親にとっても同じであるし、いま、この瞬間の自分は2度と体験することはできない。育休期間中に少しはできるであろう余白を家族や子どもたちのケアだけでなく、自分の内面の観察にも使いたいと考えている。
すこし話が逸れるが、育休というとまとまった期間(1ヶ月や半年など)休みを一括取得するというイメージが強いかもしれない。ぼくが今回取得する40日間の育児休暇をまとめてではなく、1年間で取得することでどのくらいの期間を週休3日で働けるかという妄想をしてみた。1年52週間のうち40週間、つまり1月1日から9月中旬くらいまで週休3日で過ごすことができる計算になる。さらにここに有給休暇をプラスすれば、1年のほとんどを週休3日として働くことも、(実際にできるかどうかは置いておいて)理論上は可能だ。こうやって具体的に数字を並べていくと、新しい働き方や暮らし方がおぼろげながら見えてくるのが面白い。
こんなことを考えているときに、以前読んだ「憂鬱な計算(depressing math)」というテーマについて書かれた『ニューヨークタイムズ』の記事を思い出した。著者のティム・アーバンは、縦軸に「年齢」を上から0から90歳まで、横軸に「週」を左から右にかけて1から52週まで記された「A 90-Year Human Life in Weeks(週単位でみる90年の人生)」と題された図表を使い、人の人生は自分たちが思っているほど長くないと説明する。80歳まで生きたとしてもその長さはせいぜい約4000週間で、この図に簡単に収まってしまうと。
アーバンはこの図表を使い、残りの人生で、特定の行動をあと何回行えるかをおおよそ計算することができるいう。例えば、毎年平均して2日間、両親や兄弟と共に時間を過ごしている人は、今後も好きなだけ一緒の時間を過ごすことができると思うかもしれない。しかし実際には、両親や兄弟と過ごせる日数は1ヶ月にも満たないかもしれない。この「憂鬱な計算」は、大切な家族との時間だけでなく、友人との旅行やお気に入りのレストランでの食事、趣味のスキーなどにあと何回行けるかを知ることにも使うことができる。アーバンは「人間の一生を可視化すると、『数え切れない』と思っている人生の多くの部分が、実は数え切れるものであることがわかります」と書いているが、この記事では憂鬱な計算に対して自分のものさしで優先順位を考え、決断をすることで、未来は変えられると指摘している。
育休中には非日常な体験や時間はあまりないかもしれない。それでも、すこし先の未来のことを考えるためにちょうど良い時間になればと思う。8週間後にぼくはどんな景色を見て、何を考えているのだろうか。──A.O
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